「東方風のミスフルSTGがやりたい」
 ミスフル弾幕風 〜 Fantastic parody of "Mr.FULLSWING".



○EX中ボス 神明の守護竜 辰羅川 信二(たつらがわ しんじ)〜Tatsuragawa Shinji
辰羅川は、ずっと御柳に言いたかった。
「いたずらを止められなくてごめんなさい」と。
「高天原へ帰って来て欲しい」と。
そして、「あの妖怪達が言った事は、全部嘘ですよね?」と。

辰羅川は、御柳を信じているつもりだった。
大神が大好きで、毎日犬飼とじゃれ合って笑っていたあの無邪気な幼馴染が、そんな酷い事を望むはずがないと強く思っていた。

それなのに、もう1度御柳に会おうとしなかったのは何故か。
翼が生え再び飛べるようになった頃には、それは決して不可能な事ではないはずだった。
仕事にはすっかり慣れて自由な時間は作れたし、とうに破った先代の言い付けを今更遵守する気もない。
何より手段があったのだ。妖怪を雇い飼い慣らしたのも結界学を学んだのも、いつかの過ちを二度と繰り返さないためだった。
塔の留守番を任せ、高天原に結界を張って、万全の状態で御柳を迎えに行くために整えていた準備だった。


足りなかったのは勇気だ。

準備を終えるのが遅すぎた。
信じたい笑顔は会えない時間の分だけ残酷に色褪せ、侵食する真っ黒な呪いの言葉で今にも見失ってしまいそうだ。抗おうとすればするほど思い出の大切さは裏切られる恐怖と化し、望む未来を掻き乱した。

辰羅川は、怖かったのだ。
あの狂言を真実だと告げる声が、脳裏を掠めてしまうから。
たったの一言で、ゆめは儚く壊れてしまうから。
だからきっと、御柳の元へ向かう機会をわざと逃し続けていた。

犬飼はすっかり怨念に囚われて、今や狐の名を聞くだけで激昂する。
しかし辰羅川もまた、疑念を振り切り、黙って消えた幼馴染を1人で信じ続ける強さなど持っていなかった。

信じていいんだと、誰かに力強く言って欲しかった。


――やがて岩戸の封印が解け、降り続いていた雨が止んだ。
太陽が郷を照り付け、高天原から隠者の森へ大きな虹が架かる。


○EXボス 往にし神殺の狐 御柳 芭唐(みやなぎ ばから)〜Miyanagi Bakara
種族:野狐(やこ)
能力:信仰を破壊する程度の能力

所持スペルカード
 鳴子「正直者への制裁」
 怪談「柳の下の白装束」
 博戯「狐塚ジャックポット」
 狐疑「無頼街道地獄行き」
 博戯「手の平の自在丁半」
 追考「狐火サイドワインダー」
 超本気「ターニングダイス」
 「独り善がりの駄々羅遊び」
 「糾弾する四つの眼」
 「信仰崩壊」

犬飼・辰羅川と共に大神に育てられた妖獣。
粗暴な無頼漢を気取っているが、本当は人をからかう事が好きなだけの悪戯坊主。口は達者だが知見は浅く、精神的に少々幼い面がある。

御柳の持つ信仰を破壊する能力とは、他者の神への信仰心を破壊したり、土地に根付く神の力を抹消したりする能力である。通常は困難である憑り代の破壊も、御柳の力を以てすれば容易に行える。
能力の具体例を挙げるとすると、以下の通り。

 ・例えば憑り代を砕いたら、その憑り代に依っている神を現世から消す事が出来る。
 ・例えば特定の神への信仰心を全ての信者から壊したら、その神を滅失させる(つまり、殺す)事が出来る。
 ・例えば豊穣の神・大黒天の力を土地から抹消したら、その土地は飢饉に見舞われる。

但し御柳自身も程度を把握していないが、能力を及ぼす事の出来る範囲は御柳の半径約6丈(18.44メートル)以内に限られている。


御柳は幼い頃、決闘ごっこに使うスペルを大神に教わろうとした事があった。
しかし神殺しの力が潜在していた御柳と、神が手掛けた技の相性が良いはずがない。御柳は、大神のスペルを全く使う事が出来なかった。
だがその傍らで、犬飼は拙いながらも次々それを習得している。
何事に於いても犬飼と張り合っていた御柳は、その状況を非常に悔しがった。
そして何より、スペルの練習をしている間中犬飼が大神を独占している事に強く不満を感じた。

だから大神の気を惹くために、憑り代にいたずらする事を思い付いたのである。

御柳が能力に目覚めたのは、皮肉にもその瞬間。
仔狐のささやかな下心と共に、自覚されぬまま迸る力は無防備に安置された憑り代をあっけなく砕いた。


御柳は、弱々しい陽射しを背に浴びながら高天原を飛び出した。
考えなど何もない、単なる逃走である。
大神を『殺しかけて』しまった事が、ただただ怖くて堪らなかった。

白雪も羊谷も辰羅川も、犬飼さえも御柳を責めてはいなかった。それどころじゃない状況であったし、誰も御柳の能力を知らない今、憑り代が壊れた事は単なる事故でしかない。
しかし御柳は、4人に向けられた瞳が自分を責め立てているようにしか感じられなかった。
泣き腫らした辰羅川の目が、緋色の光彩を帯びた犬飼の目が悲痛に叫んでいた。神様を殺した狐を、決して許さないと。

辿り着くのはどこでも良かった。そう、高天原から遠く離れた場所ならば。
ひたすら走り続けて、気付けば御柳はとある森の前にいた。そこは郷の最西端に位置しており、最東端にある高天原とは対極の地である。


森の入り口で、御柳は片息をつきながら立ち尽くした。
入り口から奥へ進まなかったのは、そこが危険な妖怪の棲み処ゆえ立入禁止とされている“隠者の森”だと気付いたからではない。

大神と出会う前、御柳は高天原を囲う鎮守の森を犬飼と2人きりで彷徨っていた。
そこは『死出の樹海』と呼ばれ、死にたい者はあそこへどうぞと比喩抜きで語られるような場所。そんな森で2匹の子供妖怪は、毒物研究者か自殺志願者くらいしか手を伸ばさないような不気味な植物やら、とにかく噛み砕き飲み込む事が出来そうな虫やら、胃に収まるものなら何でも食料にして強引に命を繋いでいた。
雨が降らず脱水を起こしたり、毒キノコの副作用で死に掛けたりなど日常茶飯事。生きる事が奇跡のような環境の中、思考を殺し、感情を殺し、死から遁れるために、ただそれだけのために生きていた記憶。
大神に拾われてから御柳は、鎮守の森へ近付く事はおろか当時を思い出す事すら無意識的に避けてきた。
高天原の外へ出るとき――つまり森の一本道を通るときは必ず大神の着物や辰羅川の尾などを掴んで離れず、どこか適当で安全な森を遊び場に選ぶ事もない。最早木々に囲まれるという状況自体が、地獄の日々を穿り返す恐怖であった(ちなみに犬飼は遊びの途中で鎮守の森へ転がり込んだボールを平然と取って来たりする。何事も犬飼に負けたくない御柳であるが、その辺の強さというか図太さにはとても敵わないと内心白旗を揚げている。決して口には出さないが)。

そんな訳で、そこがどんな場所であろうと森へ入る事は御柳にとって拷問のようなもの。
隠者の森へ進む以外に道がなくなってしまった時点で、まぁいいか、と靄る頭で御柳は思った。
取り敢えず高天原からは大分離れられただろうから、別にこれ以上先へ進む必要はない。むしろ問題はここからだ、高天原を離れ、その後どうするのかを全く考えていなかったのだから。
しかし、御柳はそこへ思い至る事が出来ない。そんな余力もない程に、すっかり疲れ果てていたのである。

そうして棒立ちのまま喪心している仔狐に、柄の悪い妖怪集団が目を付けた。


 おや?あれは確か、高天原の狐じゃないか。
 どうして1人でこんな所に?
 肌には生傷、着物はボロボロ、尻尾も毛並みが悪く泥だらけ。

 ――これは上手くすると、大神さまに恩を売れるかもしれないぞ。


打算から招き入れられるままに、御柳は妖怪達とつるむようになった。
隠者の森の前にある住処の居心地は最悪だった。薄暗く不潔で、黴臭い。“大神さまの子供”の名の下に御柳が被害を受ける事はなかったが、仲間内での争いが絶えず常に汚い罵声が飛び交う。
妖怪達はたまに人里に繰り出すと、非力な妖を捕まえて決闘の強制と物品の強奪を繰り返した。
下卑た笑い声をあげる妖怪達の後ろから、いつも御柳は甚振られ倒れている妖を無表情で眺めた。
稀に目が合うと、必ず憎々しく鋭い視線を返される。暴力沙汰に一切手を出さずとも、傍観していただけであっても、忌々しい妖怪集団の一員としか見做されてはいないのだろう。

その空間で、日の神に育てられた狐は紛れもなく『悪党』であった。

相応しい環境だと思った。
恩人を手に掛けるという、あまりに重い罪を犯した自分には。

――

御柳が高天原を飛び出して、幾許かの年月が流れた。

時が傷を癒し、御柳は己の罪過にようやく向き合えるようになった。
あやまちを正当化するようにわざと悪びれ、咎から逃げていただけの日々を悔いた。

そして、あれから一回り大きくなった狐は考える。
高天原へ戻ろう。
犬飼達に謝って、自分が出来る限りの手助けをしよう。

……だが、卑怯で狡猾なあの妖怪達はあっさり自分を逃がしてくれるだろうか?


森の入り口に座り込んで物思いに耽っていると、ふと風道に祀られた岩石が目についた。
注連縄が飾られているという事は、何かの神の憑り代なのだろう。

 「大神さんの憑り代は、オレが触れた瞬間に砕けたんだっけ…」

そう、こんな風に。

御柳がそっと岩に手を置いた、その瞬間である。
岩の表面に閃光が走り、光跡をなぞるようにして亀裂が入った。
驚き手を離すが時既に遅く、憑り代は亀裂に沿ってバラバラと砕け散る。まるで、瞼に焼き付いているいつかの悪夢のように。

粉々になった破片を前に、御柳は色を失う。
そして我に返ると、青褪めた顔のままガタガタと震え出した。

ほんの一瞬。
少し手を触れただけで、一柱の神が死んだのか?

白雪は、神の憑り代は現世の民が簡単に壊せるようなものではないと言っていた。まして触れただけで砕けるなど。

こんな事が2度も起こるものか。まさか。まさか。
周りから神の力や信仰が消えていくような感覚は、気のせいではなかったというのか。

これが自分の力なのか。
この忌まわしき神殺しの能力が!!


ようやく知った事の真相に狐は戦慄く。
――その背後では、仲間の妖怪が一部始終を覗いて沸き返っていた。


 何と、自分達がどんなに力を加えてもビクともしなかった神の憑り代を御柳は一瞬にして破壊した。

 もしや大神の憑り代も、こんな風に砕いたのか?
 だから御柳はこの場にいて、高天原からの迎えも来ないのでは?
 考えてみれば御柳がここへ来たのは高天原が封鎖された日。理屈は通る。
 すぐさま処刑されそうなものだが、そこは大神の情状酌量といったところだろうか。

 さては、大神が引き篭もっているという話は空言か。
 太陽はまだあるから、恐らく死んではいないのだろう。
 となると考えられるのは、瀕死の状態を隠している可能性。

 これは、愉快な事になりそうだ。
 お高くとまった高天原の連中を、醜い鬱情の渦中へ叩き込んでやれるかもしれない。
 何より上手く弱味を握れば、あの大神の力の牛耳を執れる事だって有り得る!


妖怪達も、かつては神を尊ぶ心を持っていた。
しかし長い間御柳と行動を共にしていたために、今やその信心は粉々に打ち壊されて影も形も残っていない。

早速妖怪達は高天原へ侵入する計画を立てた。
御柳を尋ねて竜が自らやって来た事はとても好都合だった。無人の日和見塔を悠々通過し、背徳の妖は封鎖された高天原へと向かう。



――御柳は1人、隠者の森の奥深くへと身を潜めた。

そこは人っ気のない森だった。当然である、立入禁止区域とされているのだから。
たまに見掛けるのは、外界との接触を絶ったような、神に見離されたような、浮世離れした雰囲気の妖。
御柳が知る由もないが、それらはいずれも能力が原因で集落を追われた者である。

周囲に不幸をもたらしてしまう類の能力。その能力を個体の存在ごと拒まれ、絶望した妖が辿り着くのが隠者の森であった。
『恐ろしい妖怪』がいるのは間違いない。
しかし危険さゆえ立入禁止とされるなら、鎮守の森などとうにそうなっているだろう。
隠者の森が立入禁止とされている本当の理由は、『恐ろしい妖怪』をこれ以上傷付けさせないため。
孤独になる事を選ばざるを得なかった心優しき妖を、静かな森でそっとしておくための羊谷の慮りである。
隠者の森は傷心の狐をしなやかに受け入れる場所であり、また、その能力による影響を郷の中で最も小さく抑えられる結界でもあった。

だが、そんな森でも御柳にとっては針の筵に変わりない。
足を踏み入れるのは怖かったし、森に入って暫くの間は身体が示す拒絶反応に苛まされた。
食料や水に困る事はなかったが昼も夜も夢魔に魘され、心休まる時など一刻足りともなかった。

しかしそれでも御柳は、決して森を出ようとしない。
神様を殺してしまう恐怖より、その苦しみの方が遥かにマシだと思ったのである。


 もう高天原には戻れない。
 少なくとも神殺しの能力を制御出来るようになるまでは。

 もしかしたら、それは死ぬまで叶わないかもしれない。


 ――ならば死ぬまで、この森で独りで生きよう。


それは甘えたがりのいたずら狐が出来る、精一杯の償いだった。

――

さて、御柳が森へ姿を隠してから、つるんでいた妖怪達が御柳に干渉しようとする事は一切なかった。

高天原で狛犬を叩き伏せた後、原にも社にも大神がいない事を確認した妖怪達は社の先にある岩屋へと足を進めた。
そして封印を破ろうと、戸の注連縄に手を掛けた一刹那。
突然、白色光の爆発が発生した。
それは妖怪達をすっぽり包み込むような小規模爆発で、奇妙な事に爆発音を伴わなかった。
まるで、意図されたかの如く。傍に倒れている狛犬を巻き込み、起こしてしまわないように。

超高熱で全身大火傷を負った妖怪達は命からがら逃げ出したが、この事ですっかり懲りたようだった。以降、「高天原の事になど2度と関わるものか」と忍びやかに暮らしているのである。

羊谷が岩屋に施した封印は、『注連縄で戸を塞ぎ何者にも開けられないようにする』という程度のものだった。
にも関わらず、どうして爆発など起こったのか。
爆発があった事すら当事者の妖怪以外知らぬ今、その真相は神のみぞ知る………かもしれない。

――

ちなみに神への信心を狂わせる御柳の能力は、神そのものである大神や常世側の血を引く白雪・羊谷は勿論、犬飼・辰羅川や猿野のような者にも直接的な効果をなさない。

まず信仰を能力そのものとする犬飼のそれは、<能力に影響を与える能力>でもない限り外から累を及ぼす事は出来ない(かつての妖怪達のように犬飼の精神を侵す事で間接的に歪めさせる事は出来るが)。
次に、竜族にとっての神とは服するものであり、信じるものではない。そのため、辰羅川は信仰という観念そのものを持たない。
そして猿野は、取り敢えず神様を敬うポーズを取りながらも、心の底では自分が上だと思っているからである。




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