とある海の真ん中に、ぽつんと浮かぶ島があった。 島の名前は“十干の郷(じっかんのさと)”。他国の干渉を殆ど受けない、独立したミニ国家である。 十干の郷はいつも平和そのものであった。 圧倒的な力を持つ妖に統治されているため内乱はなく、大陸の戦争に巻き込まれる事もない。国民を縛るものは有るか無しの秩序のみで、後は無窮の自由である。 その自由の中で国民は、食べたり、寝たり、決闘ごっこをしたりして、のんびりと日々を送っていた。 そんな十干の郷では、ここ暫く太陽が姿を隠している。 ある日突然、雨雲が郷を覆った。 一時も休まる事なく轟く雨音は幾日も続き、あくる日の朝もまた、それが止む気配は一向にない。 郷外れの長屋に住み着いている人妖・猿野天国は、同じく長屋に住んでいる人間・沢松健吾と、ガタガタ揺れる遣り戸ごしに暴雨に晒された庭をぼんやり見つめていた。 猿野 「相変わらずひでぇ雨だな〜。この島じゃよくある事なんかね?」 沢松 「さ〜ねぇ…。少なくとも大陸じゃあ拝めない土砂降りだよな」 猿野 「あーあ、こんな天気じゃネズミの巣を突付きに行く気も失せるわ。 今日も4マス限定○×デスマッチ開催決定だな」 沢松 「おめーは遊ぶ事しか頭にねーのかよ…」 猿野と沢松が十干の郷に住み始めたのは最近で、それまで暮らしていたのは郷から遠く離れた大陸の国である。 郷の天候は、大陸と比べると非常に不安定であった。朝は晴れていたのに昼には雨が降ったりと1日の間で天気が変わる事も珍しくなく、郷へ来た当初は気まぐれな空模様に散々振り回されたものだった。 そんなおかしな天候にも今はすっかり慣れた…と思っていた2人であったが、外出を憚られる程の大雨に連日見舞われるのは初めての経験。多少の雨なら物ともせず気化防壁(一定時間使用者の周りに雨を蒸発させる薄い結界を張る便利アイテム)を使って里に飛び出して行く猿野も、パノラマの大瀑布には流石に漫ろ心が削がれるらしい。朝から晩まで家に篭もり、沢松と自作の珍ゲームで遊んでひたすら暇を潰すという自堕落な毎日を過ごしていた。 猿野も沢松も最早グダグダムードに抗う気力はなく、いつものようにゲームの先攻決めジャンケンをしようと手を振り上げる。 ――が、掛け声と共に下ろされたのは沢松の握り拳だけであった。 沢松が顔を上げると、あぐらを掻いて鼻糞をほじっていたはずの猿野が不自然にしゃっきりした顔(本人曰くキメ顔)で正座している。 大丈夫か、と言い掛けると小さな足音がパタパタ近付く音が聞こえ、間もなく廊下の角から長屋の主・鳥居凪が現れた。 凪 「おはようございます。猿野さん、沢松さん」 猿野 「おお、これは凪さん!おはようございます!! いや〜本日はお日柄も良く…」 沢松 「どこが!」 猿野 「フフン。解ってねーな、このオールバックは。 オレにとっての太陽は凪さん唯一人。雨が降ろうが雷が鳴ろうが、 そこに凪さんがいるだけでオレの心は晴れ渡るのさ」 沢松 「うぎゃ〜、さぶいぼ」 凪 「ふふっ。猿野さんは今日も元気ですね」 猿野が長屋へ居付いた理由はたった1つ、凪に惚れているからである。 可愛い女の子や綺麗なお姉さんには無差別に欲情する猿野だが、凪への態度だけは明らかに特別だった。凪のためなら何でもすると宣言していて、実際猿野は凪のためになると思えばどんな事も自主的に行った。 傍から見れば凪は猿野に毎日告白されているも同然であったが、何分彼女は色恋沙汰にめっぽう鈍い。そして猿野も、肝心なところは奥手である。お陰で何年も同じ家で共同生活を送っていながら、2人の関係は友達以上恋人未満の枠から一向に出る気配がないのであった。 尤も稀に良い雰囲気になったとしても、必ず沢松による妨害が入るのだが。 沢松 「凪ちゃん、この天気はココじゃフツーの事なのか?」 凪 「う〜ん。梅雨でもないのにこんなに降るのは、 あまり記憶にありませんね」 猿野 「つゆ!?」 沢松 「むしろそっちを見てみたいぜ!!」 凪 「?」 そんな珍事を凪さんと共に体験出来るなんて光栄っす、と敬礼する猿野に微笑んでから、凪はふと空を見上げて小さな溜息を漏らした。 猿野 「ど、どうしたんすか?凪さん」 凪 「あっ……いえ、何でもないんです。 ただ、しばらくお布団を干してないなって思って。 そろそろ干そうかな、というときに降り出したので……」 沢松 「そういやフカフカの布団で寝てねぇよなぁ、最近は。 まぁオレは湿った布団も好きだけど」 凪が申し訳なさそうに笑った瞬間、突然濡れ縁側の戸が開け放たれ滝のような轟音と怒涛の雨が廊下に吹き込んだ。 開いた戸の近くにいたため一気にびしょ濡れになった沢松が何事かと振り向くと、愚行の犯人が真正面から豪雨を浴びつつわなわなと震えている。 猿野 「許さん…」 沢松 「は?」 猿野 「凪さんを憂き目に遭わせやがって、絶対に許さんぞ雨雲どもめ!! オレ、ちょっと出て来ます!!」 凪 「えっ、猿野さんどこへ!?」 猿野 「少しばかり待っていてください凪さん! 男・猿野天国、必ずやこの雨を止ませてみせます!!」 凪 「雨を止ませるって!そんなっ猿野さん!」 猿野 「猿野、いっきま〜す!!」 凪 「さ、猿野さ〜〜ん!!」 沢松 「止めてやるな凪ちゃん。 ああなったらあいつは、気が済むまでは帰って来ねー…」 猿野は、小さな雲に乗って長屋を飛び出した。 行く宛はない。雨を止ませる目算もない。 思ったままの方角に向かって、水止めの途に就いたのであった。 天つ水は郷を覆い、民を外光から取り隠した。 人知れず歪んでいった、長病みの太陽の光から。 |